このままいろんなものに飲み込まれそうで、

すべてのものを手放したい

 

目の前の雑然とした風景は

いつも脳みそをいらない方向へフル稼働させる

 

音楽やラジオ、雑音は好きだけど、

テレビの音は苦手だなとここ数年感じている。

 

そういうのも全部自分で選べるから。

うまく離れたり近づいたり。

 

常にクリアな思考を巡らせて

いつも自分の心と体に素直でいたいな

自分のことを「ふつう」と思うのをやめた


これまで生きてきて、何度も言われてきた「変わってる」とそれに似た言葉たち。


自分の中では「そんなことない」「めちゃくちゃふつうの人間なんですけど」
と思いながら適当にやり過ごしてきた。
時には「いや、あいつよりかはふつうだ」と言ってきたりもした。(人と比較するわけではないが「変わってる」界の中ではふつうだし。ていうか別に変わってないし)

 

まあ最近いろいろ人と話をしたりして、自分は「ふつう」ではないとちょっと認め始めた。
だからといって何か劇的な変化があるわけでもないけど。
だってそれでもいいよと言ってくれる人がいるし、受け入れてくれる人がいるから。

 

自己肯定感はある方(多分めちゃめちゃ。根拠のない自信で生きてくタイプ。)
だから、これが私だといつも思っている。
のでふつうとかそうじゃないとかあんまり考えてこなかった。し、そこに縛られてる気もしてなかった。
でもきっと無意識的なところで、ふつうに寄せようとしてた時もあるのかなとふと振り返ればそう思う。

 


もし、「自分とは?」「あなたを一言で表すなら」と聞かれれば、
限りなく普通に近い変人
と今なら答えるかなぁ。


いろいろ理解したことがある。
まず普通に寄せようと思ってはいないということ。
でも自分の中ではふつうだからふつうだということ。
ちょっと変わってるかもというのを認めていなかったのかも、ということ。


結局自己肯定感がある程度あるものだから、
特に考えすぎない性格だから(時と場合によるけれど)、
ま、どんな自分でも自分だし、
ふつう とか
かわってる とか
そんな外からの言葉を気にしないことにした。
し、自分でそんな風にラベル分けするだけ時間の無駄。無駄無駄無駄!!

というか、気にしていなかったけど、
何度かタイミングが重なって言われることがあって
少し気になっちゃった、みたいなところ。

あーまだまだ惑わされて生きている。
自分の芯をぶらさずに、生きるのみじゃー

.

今まで自分の中にとどめていた文章を少しずつ残していこうと思う。

特に理由はないけれど。

なんとなく人に見せることが恥ずかしいというかそんな気がしていたけど、

なんか別にいいか、みたいな。

意思表示の練習がてら。ね。

 

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ただただとりとめのない文章を打つのが好きだ。
でもエッセイを読むのは苦手。最近少し読めるようになってきた。

そもそも自分の気持ちを表明することに慣れていない。
意見を求められれば答えるが、それ以外の普段の生活の中では。
でもいろいろ考えていることだってあるし、思うこともある。
そういうの、全部こうやって個人的なメモに吐き出しておくのも
まあ別にいいけれど、もっと外に出していかないといけないなとも思う。
もっとしなやかにたおやかに、生きていくには大事かなってね。
あえて言わないという方法もあるけれど、
私はあえて言いたい、という思考になってきた。

だってなんかもったいないもん。
それで世界が広がるかもしれないしさ。